子宮頸がん闘病日記 by purie

子宮頸がんと診断され、妊娠も発覚した私の闘病日記

パートナーとの話

中絶をして、治療を進めるか

 

または

 

妊娠を継続して、治療を後回しにするか。

 

 

 

家の近所のクリニックで中絶手術を受けるための紹介状を頂いていたので、それをテーブルに置き、話をし始めました。

 

 

彼は

ー僕の意見は君の希望が叶う事。

どうしたい?

 

 

こんなことを言われた。

 

 

先生から与えられた2択。

 

 

次回診療は3週間後。

それまでに決める。

 

どちらを選んでも、

どちらか片方の命しか守れない。

 

究極の選択を迫られました。

 

 

大切なパートナーの待望の赤ちゃんが私のお腹にいてる。

 

私はその子を守る方が出来ても、

出産後の治療だと

見守り続ける事が出来ない。

 

この子を諦めて治療をしても、

もうお腹には命を宿す事が出来ないかもしれない。

 

 

出来るなら、なんのリスクもなく、

周りと同じ様に赤ちゃんを産んで育てていきたい。

 

 

 

そんなことを話しました。

 

 

 

すると、そうしよう!

と言われ、調べ始めた彼。

 

 

医者から与えられた2択以外の道を自分で見つける。

 

 

すると、新潟にそんなお医者さんがいてる事が判明。

 

妊娠を継続しながら子宮頸がんの治療をしてくれる先生。

名医と記されていました。

 

 

さらに調べていくと、、

その名医が手がけたであろう医学論文が出てきて、

そこに羅列された医師(きっと一緒に論文仕上げた方々)に、現担当医の名前を発見。

 

 

お知り合いでは…?

 

 

ビンゴでした!

 

 

 

 

私は大阪在住。

大阪から移動時間の1番長い新潟。

 

通うかなー。

入院したときの身の回りの世話は、

住込みで母にお願いする?

そしたら家借りなきゃね。

どんだけお金かかるんやろ。

 

彼は私の望みを叶える事だけを考えてくれていて、お金の事は気にしなくていいと言ってくれました。

 

 

あとは勇気。

 

 

新潟に行ったからって、子供が元気に生まれて、私の病気も完治して、みんなハッピーに元どおりの生活に戻る

 

 

って訳じゃない。

 

 

子供が治療に耐えきれず流れてしまって、

私の治療も少しは遅れるから、病巣が広がってしまって…

 

 

なんて事もありえるから。

 

 

周りの協力が必須だから、周りの理解も必要。

 

勇気…

 

 

 

気分が悪い。

つわり。

 

 

 

究極の選択に加え、

最悪の体調でした。