子宮頸がん闘病日記 by purie

子宮頸がんと診断され、妊娠も発覚した私の闘病日記

手術

受ける事にしました、

 

 

人工妊娠中絶手術。

 

 

 

親とも相談したし、彼とも毎日何時間も話し合いました。

 

 

1番心に響いた言葉が、

 

ー今ある命が1番大切ー

 

 

子供も欲しい。孫が見たい。

家族が増えて笑顔も増える。

 

そんな事よりも1番私の命が大切。

 

 

子供が出来なくても、私さえ元気でいれば、

もっと楽しく過ごす方法はたくさん見つかる。

 

 

子供がいても、私がいなければ

みんな悲しいから。

 

 

 

私は愛されている。

家族の事も彼の事は、凄く大切でかけがえのない存在。

 

 

知ってるつもりでしたが、

こんなにも周りに愛されていることは

凄く嬉しくて、心が動きました。

 

そして、私を強くしてくれました。

 

 

 

 

この子が私に伝えたかった事、

毎日考えてました。

 

 

 

 

私はこの子に多くの事を教えて貰い、

強くなりました。

 

 

この子の為にも絶対に完治させる。

 

 

また、会える日が来た時には

おかえりって言いたい。

 

 

 

諦めた子は、もう戻って来るわけないって思う方も多いでしょうが、、

 

戻って来るって思わせて下さい。

 

 

 

またお迎えできる日まで、

お空で待っててくれたらいいな。

 

決断

よし、新潟へ行くぞ!!!

 

 

 

朝そう決めて、彼にも話して、

頑張ろう!

 

 

そんな話をしてました。

 

 

 

一晩たち、

 

翌朝、

 

 

やっぱり、治療して、

頑張って2人兄弟を目標にしたい!

 

 

 

翌朝、

でもやっぱり、

1人も産まなくなるかもしれないから、

新潟へ行くぞ!

 

 

毎日心が揺れました。

どうしたらいいか、わからくもなりました。

 

 

どちらを選んでも正解。

どちらを選んでも不正解。

 

 

そんな事、決められない。

どうしよう。。

 

私がこれからも生きていきたいから、

小さな命を殺してしまうなんて。

 

待望の赤ちゃんだから、私の命に代えても産みたい。会いたい。

 

 

見つからない答えと、どんどん増してくる悪阻。

気分転換に、と、

出かけたショッピングモールでも途中で気分が悪くなり、休憩ばかり。

 

 

電車で酔い、バスで酔う。

暗い顔になってしまい、

 

楽しい話も気分が悪くて続かない。

 

病気と妊娠の話が1番気になるし、したい。

 

意見が噛み合わずに

言い合いになる。

 

 

今思えば、お互いの事をお互いが考え過ぎたあったかい話だったけど、

辛い、楽しくない、暗い話題ばかりで言い合いになってしまっていました。

 

 

 

君の希望が僕の意見。

 

 

こんな優しい言葉をかけてくれる彼の事も、

 

自分の意見が無いの?って思い始めたり。

 

こんな辛い事、考えたく無いよな。

 

とか。

 

 

私を思う彼に八つ当たりし始めていました。

 

 

 

辛い。

 

 

 

自分で動かないと、誰も助ける事は出来ない。

私の身体だから。

 

 

わかっていても、誰かに決断を委ねたくて、

でも、だれもそんな決断を私に強制できるわけもない。

 

 

勧められても決めるのは自分。

 

 

 

…どうしよう。

 

 

 

逃げたい。

 

 

 

決断をせず、考えることで24時間が過ぎ、

それが私にとって楽になれる方法でした。

それがダメだとわかっていても、

逃げたくなるほど辛い選択でした。

パートナーとの話

中絶をして、治療を進めるか

 

または

 

妊娠を継続して、治療を後回しにするか。

 

 

 

家の近所のクリニックで中絶手術を受けるための紹介状を頂いていたので、それをテーブルに置き、話をし始めました。

 

 

彼は

ー僕の意見は君の希望が叶う事。

どうしたい?

 

 

こんなことを言われた。

 

 

先生から与えられた2択。

 

 

次回診療は3週間後。

それまでに決める。

 

どちらを選んでも、

どちらか片方の命しか守れない。

 

究極の選択を迫られました。

 

 

大切なパートナーの待望の赤ちゃんが私のお腹にいてる。

 

私はその子を守る方が出来ても、

出産後の治療だと

見守り続ける事が出来ない。

 

この子を諦めて治療をしても、

もうお腹には命を宿す事が出来ないかもしれない。

 

 

出来るなら、なんのリスクもなく、

周りと同じ様に赤ちゃんを産んで育てていきたい。

 

 

 

そんなことを話しました。

 

 

 

すると、そうしよう!

と言われ、調べ始めた彼。

 

 

医者から与えられた2択以外の道を自分で見つける。

 

 

すると、新潟にそんなお医者さんがいてる事が判明。

 

妊娠を継続しながら子宮頸がんの治療をしてくれる先生。

名医と記されていました。

 

 

さらに調べていくと、、

その名医が手がけたであろう医学論文が出てきて、

そこに羅列された医師(きっと一緒に論文仕上げた方々)に、現担当医の名前を発見。

 

 

お知り合いでは…?

 

 

ビンゴでした!

 

 

 

 

私は大阪在住。

大阪から移動時間の1番長い新潟。

 

通うかなー。

入院したときの身の回りの世話は、

住込みで母にお願いする?

そしたら家借りなきゃね。

どんだけお金かかるんやろ。

 

彼は私の望みを叶える事だけを考えてくれていて、お金の事は気にしなくていいと言ってくれました。

 

 

あとは勇気。

 

 

新潟に行ったからって、子供が元気に生まれて、私の病気も完治して、みんなハッピーに元どおりの生活に戻る

 

 

って訳じゃない。

 

 

子供が治療に耐えきれず流れてしまって、

私の治療も少しは遅れるから、病巣が広がってしまって…

 

 

なんて事もありえるから。

 

 

周りの協力が必須だから、周りの理解も必要。

 

勇気…

 

 

 

気分が悪い。

つわり。

 

 

 

究極の選択に加え、

最悪の体調でした。

治療方針

帰省中だった姉がどうしても心配だといって、大きな病院の検査の日についてきてくれました。

 

検査は、健康診断でよくやる様なものでした。

 

採血を5本したのには驚きましたが、、。

 

 

 

いろんな検査が終わりましたが、X線検査の前に妊娠の可能性の話を看護師の方にしました。

 

 

この検査は今日は飛ばす、と。

 

 

 

婦人科の先生の問診には、姉が同席しました。

 

 

まずは紹介状の中に入っていた、私の細胞のサンプルの様なものをご覧になり、

先生は私に質問されました。

 

 

 

 

病名はなんと言われましたか?

 

 

ーガンとおっしゃってました。

 

 

 

このやりとり、見えてはいなかったけど

姉はどんな気持ちになっただろうか。

 

 

 

 

そして、進行具合によっては、このまま妊娠を継続する事も可能だとお話ししていただきました。

ただし、これはあくまで実験的に。

 

 

実際に見てみましょう、という事になり、

姉は退席し、私は診察室に入りました。

 

 

まだ、赤ちゃんが見えませんでした。

排卵が遅れていたのではないかと、おっしゃっておられました。

 

 

基礎体温を付けていたのでそれを後で見せる事になりました。

 

 

 

ガンの進行具合は

 

 

 

…これは進んでますね、

初期ではないです。

 

進んでます。

 

 

ものさし持ってきてー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

診察台から降り、お話をお伺いする事になり、姉にまた同席してもらいました。

 

 

 

 

14ミリ。

 

 

これは7%の人が転移してる大きさだと、言われていたそうです。

私は聞き流していましたが。。

 

 

 

これでは妊娠が終わるまで処置を待っていると母体に危険が及ぶと言われました。

 

 

 

しかし、これから治療に必要な検査を進めるには、胎児がいては進められないらしい。

 

 

 

諦めて検査をするのか、

 

 

リスクを承知で治療を進めるか。

 

 

 

…治療のリスクって、私死ぬって事?

 

それはあかん。

 

 

 

 

今日この後にでも、中絶してくれる病院へ行くかと聞かれましたが、彼の意見も必要だからという事で、この日は

中絶してくれる病院の紹介状と、

次回検査と診察の予約をして帰りました。

 

 

 

帰りに姉とご飯を食べました。

 

 

 

姉から親にどこまで話すかを2人で決めました。

 

 

 

 

いつも2人だと笑って過ごすことが多いけど、この日は無言が続きました。

重たい空気が流れた気もしました。

 

 

 

姉は第二子を出産したばかりでした。

 

 

 

姉妹でこうも違うか。

 

 

 

また明日、と姉と別れて、私はクリニックへ診断書を書いて欲しいと伝えに行きました。

 

 

 

どうだった?

 

先生が聞いてくださいました。

 

 

 

治療方針を考えて下さってたんですが、

妊娠がわかったんで、今はちょっとストップですかね。。

 

 

 

驚いておられました。

 

 

 

 

そらそうやんな。

 

 

 

 

 

 

帰宅後、彼に話す準備をしました。

微妙な結果の翌日

翌日では変化は期待できないから、という事で、翌々日にもう一度検査しようと話してました。

 

 

そんな頻繁にやる意味はないはずだと。

 

確かに。そうやわ。納得。

 

 

 

けど、気になって仕方ありませんでした。

 

 

翌朝、彼は仕事終わりで飲みに出る予定だったので帰りは遅いといって、出勤していきました。

 

夜は1人かぁ。

 

 

検査薬はまた今度やな。

 

なんて思いながら、やっぱり我慢できずに

お風呂入る前に検査薬を使いました。

 

 

反応を待たず、お風呂に入りました。

 

 

出たら、結果を見よう。

 

できてたら嬉しいなぁ。

 

でもいつもことやから、出来てないんやろな。

 

とか思うと、実際にそうなりそうやから、そんな事考えんとこう。

 

でも出来てたらガンどうなんねやろ?

 

 

なんて考えながらお風呂に入ってました。

 

 

 

上がって、検査薬を手に取りみてみると

 

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えっ、

 

反応してる。

 

 

 

うそやん?

 

 

 

こんな感じで何回も確認しました。

 

そして、飲みに出ている彼に連絡しました。

 

 

 

すぐに帰ってきてくれました。

 

すごく喜んでくれました。

 

 

 

あれ?

 

ちょっと待って、私、、

ガンどうなんの?

 

 

次回大きな病院(手術をして貰える病院)の検査日は3日後。

 

それまでにもう1回確認して見よう。

 

 

 

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やればやるほど線は濃くなっていきました。

 

検査薬

 

遊び感覚で開けた妊娠検査薬の袋。

 

トイレで検査をしました。

 

 

反応はもちろん陰性。

 

 

…?

 

 

なんか見える。

 

気のせい?

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え、なんか見える…

かすかにみえる。

 

 

すぐに彼に伝えましたが、

 

微妙やな〜。。

と、リアクションはイマイチ。

 

けど、心なしか嬉しそうでした。

 

 

 

って事で、日を改めて検査薬をする事にしました。

ガン告知の日から数日

非常に落ち込みました。

 

さらに追い討ちをかけるかのように、

仕事でも嫌な事がありました。

 

 

いつもなら毅然と振る舞えたはずが、

この日はなんだか泣けてきました。

 

 

 

気がつけばガンの告知からその日まで毎日泣いていました。

 

初日は、同棲している彼の優しさに泣けてきました。

 

2日目は、この先どうなるのか、、わからない事だらけで、不安で涙が出てきました。

 

3日目は、私はなんて可哀想な人間なんだと思えてきて、自分自身が哀れで泣けてきました。

 

 

 

この数日間、ずっと泣いてる。

 

 

…ショックからか、生理も遅れてる。

 

こんな毎日でした。

 

 

 

そんな時に少し前にネットで頼んだ妊娠検査薬が届きました。

 

…いやいや。私はガンやから。

治療終わるまでしばらく使えませんやん。

 

なんて思いながら。

一つやってみよかな。。

 

どうせ捨てるなら使っちゃえ、ってな感覚でした。